百人一首に見る掛詞 その3







●77番 崇徳院
瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ
せをはやみ いわにせかるる たきがはの われてもすゑに あはむとぞおもふ

掛詞:「われて」は「水が分かれて」と「二人が別れて」にかかる掛詞、「あは」は「流れが合う」と「二人が逢う」の掛詞。
意味: 川の瀬の流れが早いので、岩にせきとめられる急流がふたつに分かれてもやがてまた合流するように、ふたりが一度は分かれても末には必ずまた一緒になりましょう。

●88番 皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう)
難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ 身を尽くしてや恋ひわたるべき
なにはえの あしのかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや こひわたるべき

掛詞:「かりねのひとよ」は「刈り根の一節」と「仮寝の一夜」の掛詞、「みをつくし」は「身を尽くし」と「澪標」の掛詞
意味: 難波の入り江に生えている芦の刈り根のひと節ほどの、ただ一夜の仮寝のために、私は澪標(みおつくし)のようにこの身を尽くしてお慕いし続けなくてはならないのでしょうか。

●91番 後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだじょうだいじん)
きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしきひとりかも寝む
きりきりす なくやしもよの さむしろに ころもかたしき ひとりかもねむ

掛詞:「さむしろ」は「さ筵」と「寒し」の掛詞
意味: こおろぎが鳴いている寒い霜の夜の寒々したむしろの上に衣の肩袖を敷いて、私はひとりさびしく寝るのだろうか。

●95番 前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)
おほけなく憂き世の民におほふかな わが立つ杣にすみ染の袖
おほけなく うきよのたみに おほふかな わがたつそまに すみそめのそで

掛詞:「すみぞめ」は「墨染」と「住み初め」の掛詞
意味: 身の程をわきまえないことながら、辛い浮き世に生きる人々に覆いを掛けたいのだ。比叡山に住み始めた私の墨染めの袖を。

●96番 入道前太政大臣(にゅうどうさきのだじょうだいじん)
花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり
はなさそふ あらしのにはの ゆきならで ふりゆくものは わがみなりけり

掛詞:「ふりゆく」は「降りゆく」と「旧りゆく」の掛詞
意味: 桜の花を誘うように嵐が吹き散らす庭で、雪のように降る花びらではないが、ほんとうに古く老いていくのはわが身なのだなぁ。

●97番 権中納言定家
来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ
こぬひとを まつほのうらの ゆふなぎに やくやもしほの みもこがれつつ

掛詞: 松帆浦の「まつ」は「松」と「待つ」が掛詞
意味: 松帆の浦の夕なぎの時に焼いて焦げている藻塩のように、 来ない人を待ち続けて恋い焦がれているのです。

●98番 従二位家隆(じゅにいいえたか)
風そよぐ楢の小川の夕暮は 御禊ぞ夏のしるしなりける
かぜそよく ならのをがはの ゆふぐれは みそぎぞなつの しるしなりける

掛詞:「なら」は「楢」と「ならの小川」の掛詞
意味: 楢の木の葉が風にそよいでいるならの小川(上賀茂神社の御手洗川)の夕暮れはもう秋の気配だが、六月祓のみそぎ行事だけがまだ夏であるしるしなのだった。

●100番 順徳院
百敷や古き軒端のしのぶにも なほ余りある昔なりけり
ももしきや ふるきのきばの しのぶにも なほあまりある むかしなりけり

掛詞:「しのぶ」は「偲ぶ」と「忍ぶ草」の掛詞
意味: 宮中の古びた軒端に生えている忍ぶ草を見ていると、偲んでも偲びつくせないのは皇室や貴族の栄えていた昔の良き時代のことであるよ。
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